SEC Energy
SECは「リーグ」ではなく、生活のリズムだった。
日本から見ると、SECはまず強豪校が集まる大学スポーツの舞台として映ります。 もちろんそれは正しいのですが、アラバマに入ってみると、その輪郭はもっと大きい。 SECは試合の結果を追う対象であると同時に、人々が季節を感じ、自分の立場を確認し、 地元とのつながりを口に出すための文化装置でもあるのです。
Hiroが面白いと思ったのは、SECの話題がスポーツ好きだけのものではないことでした。 レストランでも、ホテルでも、ガソリンスタンドでも、大学名や試合の空気は驚くほど自然に会話へ入り込みます。 それは無理に盛り上げようとしているのではなく、すでに共通言語として根づいているからでしょう。
しかもその熱は、ただ勝利を求める硬い圧力だけではありません。色、歌、スタイル、言い回し、 そして「私たちはこの大学、この町、この伝統の側にいる」という柔らかな帰属感までを含んでいます。 だからSECのエナジーは、数字や戦績だけでは表せない。人が人とつながる回路として、 日常の表面に現れてくるのです。